昭和41年08月08日 朝の御理解
真に有難しと思う心、すぐにみかげの始めなり。信心の稽古をさせて頂いて居るといろいろな意味でいろいろな事が分からせてもらい、又はそれを感じさせてもらう。本当に信心させて頂いて居ると言う事が有り難いなあと云う事になるのです。けれども一つの願い事と言った様な物がもう神様の働きを頂きよるぞと、もう神様が働きよるなとこう実感する事が御座います。
それは実を云うたら、もっともっと微妙に働きを頂いているので御座いましょうけれども、私共が感じるのはわずかなところを見て又それを感じるのですけれど、もう神様の働きがおかげがもう始まって居るなと実感する時がある。私は来れは永年のと言うが14・5年の体験ですけれども始めの間はもう神様のおかげがこういう素晴らしい働きになって行くと云う事をですね。
おかげ頂きだしたらね、人に伝えなければおられない、というしょうどうに駆られるんですね。ですから本当に神様ちゃあ有り難いですなあと、こう云う風にお願いさせて貰い、こう云う風に心掛けにならせて頂いたら、もう神様がこんな働きを下さりよるとお話するんですね。そうしよるとですね、おかげが或場合には、ピシャッと止まる様な感じがする時があるんですよ。
これは私どういう訳かまだ良く分かりませんけれども、なんて云うですか、もう神様の分域に私共が足を踏み入れるからじゃないかと思うですね。矢張り人間のぶんいきと神様の分域はおのずと違うわけね。それはお取次の御用をさせて頂く様になってからですけれども。一つの事を御取次させて頂きますとね、私は感じる事があるんです。お届けを聞いたり致しますと。
この人の話を聞いたら有り難いなあと、それをですね、次に参って来る人達に伝えたりするとその、人のおかげが止まるという感じが致しますね。ですから私ですね、この人の上に、働きが始まったなあというような時には、先ずおかげ話として話さないことが多いです。私御造営が、始まってからの是まで、本当におかげ受けよるなあと云う時には絶対話しませんです。
まあ云うなら枝葉の様な事しか話しません。だから是は銘々がです、有り難いなあと思いおかげを受けて居る人がですね、本当に神様の働きには恐れ入るなあ、たった是位の事を一生懸命思わして頂きゃ、もう神様はこんなおかげを下さってと、云う様な形が現れて来るのです。皆さんもそういう体験をなさった事があるかないか分かりませんが、確かにそんな物の様ですね。そしてその事が成就する。
ですから、私の過去のおかげ話と言った様な物は、もうおかげ話の殻の様な物ですね。殻の様になった、おかげ話でなからなければ、いけない様に思うですね。おかげ話と云うのは、まだおかげを実感して居る。是は私共の信心がまだ本な物でないからであろうと思います。是は例えて云うならば、神様事なんかと云うものはですね、特に神様の不思議な働きが始まりますね。
そして云うならば、今まで見られなかった世界、今まで感じなかった世界、初めて聞いたと云った様な事をですね、神様からすぐ伝えたら絶対いけないのです。私がもう十五年、二十年前神様の世界を覗かせて頂き、是はとても普通事じゃないですもんね。それは神様は絶対にその事を話す事を禁じられました。原さん久富クニカさんなんかはよう神様から色々教え頂かれるんです。それを頂きますもんですからね、それを誰にでん彼にでん話される訳なんです。もうそれはですね、御無礼になるですね。
ですからその割にはおかげ頂かんです。もうここでは御取次を頂くだけ、そしてその事は有難いという実感の方へ持っていかないかんです。もう私の様な者にこんなお知らせを頂いてと、それをもう私はこう頂いた、ああ頂いたと云うて人に伝え過ぎる。私はだから原さんや久富クニカさんあたりには人に言うてはいけませんと云う事けれども、やぱっり言わずには居られないと云った様な衝動に駆られる訳なんですね。
そしてほんなこっちゃろうかと云うごたる気持ちで人に話す訳なんです。こうなったらいよいよいけんです。是は神様事、特にですから私共が16・7年も前に伝えた事、伝えて良い事、伝えて悪い事、今では私の是は秘中の秘としておる事があります。それが段々枯れて来る、生々しいものが無くなって枯れて来る、そしてそれが、まあ自分の頂く事を別に自慢じゃないだろうけれども、自慢めいた気分と云った様なものがあっては尚更いけないでしょうけれど、どう云う訳か知らんけれども、神様の指示と云うものを漏らすとおかげ頂けんです。
先日金光青年を見せて頂いておりましたら、指示を漏らしたら早死にするとまで云われると書いてあった。是は私も聞いた事があります。特に神様事なんかはですね、人に言うたりなんかするとこういう御理解なんかの場合はいいですね、御理解なんかでお知らせを頂くのは是は伝えなければならん。ですから、神様からああ頂いた、こう頂いたと言うて伝えずに御理解をして伝える事はある。けれど、どうもそれでは実感が伴わないから、私はお許しを頂いている範囲で。
神様から実はこういう、お知らせを頂いたと云うて申しますけれど、大体は言わん方がいいようですね。ですからそういうものをですね、自分の心の中に頂いて真に有難い、私の様な者に神様はこういうお知らせを下さってとこういう訳なんです。本当にですね神様私ぐらいな者に何時も付きっきりでいて下さる様におかげ下さると、昨日御祈念が済んでからで御座いましたけれども、妹がお届けするんです。昨日勤めでなんか知らんけどイライラしたり腹立たしい。
それが訳は何にもないと、そして御用させて頂きよったらはっきりですね、夢でもなければ御心眼でもない、何じゃろうかと云う訳です。自分の側に居られた大黒様が、くりっと回れ右をしてから向こうに離れて行きよんなさるところを頂いた。もうハッと思うてからですね、私がこういう思いをすると神様が離れなさると云う感じで、又すぐそれを取り戻しておかげを頂いたとこういう訳なんです。
是なんかはですね、私が夕べからですね、ここで消化して皆さんに伝えておるから、ああそんなもんかと受け止めるけど、もし妹がこうじゃったと皆さんに伝えたらおかげ落とすです。是はそういう時にですね。妹と二人でほんに有難い事であるのう、俺達位の信心にちょっと間違えたらもう神様がこうやって、付きっきりで居って下さる事が分かるじゃないかと、云うて申したので御座いますけどね。そういう場合でもですね、人にお届けもせん内に話したらもういよいよいけませんですね。
御無礼になる。それは私もよく分かりませんけれど、もうおかげ頂かんです。まあそれはそれとして。今日は私が、私共が御取次を願う、御理解を頂く、ほんにそうだなあと本気にそう云う風に改めさせて頂こうと実感させて貰ってそれが行じられるとですね、もう確かに何がしかの神様の働きが早速始まるんです。真に有難いと思う心、すぐにみかげの始まりと云うのが。私共が感じれる様におかげが始まるんです。すぐに有難いと云うてですね。誰彼に話しますとですね。
そのおかげがピシャッと止まる様な感じが致します。是は私の永年の体験です。今日はですね、私そういう様な色々な事を思うとったら、平和台と云うですかね、台ですかね、ムと口を書いてそれを大きく頂きますもん、おかげを頂く土台、おかげを頂く台だと是をですね、崩しちゃならないと云う、しかもそれを分解しますとム、口と云う事になります。ああ、言うちゃならない。
自分の心の中に、有難いと云うものを貯えていかないけんものだと、おかげ頂いて有難い、御取次を頂く事は別です。けれども是は、例えば家内にでもです、どんなに親しい人にもです、是は衝動に駆られるです。おかげを頂くとですね、本当は神様ちゃ有難かですねと云うて話したいんです。けれど是はひとつのおかげに成就して固まって、まあ云うなら枯れてから是が沢山の体験として、もうあの人を叩けば、なんぼうでもほこりが出る様に叩けば叩く程。
聞けば聞く程、無尽蔵にそういうおかげの体験を、持って御座ると云うものでなければならんです。私は今皆さんに聞いて貰いよるのはそういう過去のおかげの、云うなら残骸なんです。ですから此処ん所を信心させて頂くとですね、心掛けとかなければならない事だとこう思うのです。
今日は特に無口、言わずに有難いと云うものを、讃えて行くと云う自分の心の中に、しかし有難いものがですね、人に伝えるとですね、倍になって有難いものが返って来る場合もあります。けれども殆ど有難いものが、段々実感していたものが薄らいで行きます。それは純真無垢とでも申しましょうかね、矢張りそれは自慢めいたものと、云った様なものでもないでしょうが。
まあそういうものが無くなってしまって、云うなら、生魚と思う様な時には出しちゃいかんと、おかげ頂きよるけれども矢張り当たる事があるです。だからそれが干物になる、干し物になるなら絶対当たる事がない。只自分の心の中に、生物の味わいと云うものを、味わっていけばいい。お刺身と云うのは、こんなに素晴らしい味のものだと、云う事を心に頂いていけば良い。
どうぞ今日は特に無口、言わずに自分だけが有難いと思い、その有難いと云うものが様々な姿。形又はその事以外に、口にする事に何とはなしに有難いと云うものが、にじみ出る様なおかげを頂きたいと思うんです。今日はその無口、それこそ、おかげの土台になるものであると云う事を、ひとつ思っておかなければなりません。今日は、そこんところに、焦点を置いて、信心研いて行きたいですね。
どうぞ。